2011.11.14 Monday *
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2008.04.08 Tuesday *21:19
手術後、実家に帰りましたが、涙は止まりませんでした。
そして、そんな私に母から一言、 「いつまで泣いてんの?こっちの気が狂いそうなんだけど。迷惑だからやめてくれない?」 頭の中でゴングがなりましたよ。ただちにファイト開始。 「くそばばー!お前が中絶した分だけ、こっちが流産するんだよ!」 とか、まぁ色々と暴言の言い合い。手も足も出ました。 そして、すぐに自分の家に直帰しました。 悔しいのと、悲しいのと、母親に対する呆れと、グチャグチャで、しばらくの間、自分が何なのか分からない時期でした。 ___________________________________ 初めて、足つぼマッサージに行ったのは、何年も前、姉に連れられてでした。 興味だけで行ったのですが、「行き損」って感じで行くのを辞めました。 理由は、 「いやぁ〜、完全に冷え症だね、よく今まで生きてこれたね。」 みたいな事を言われ、悪いところを教えてもらったら…。 子宮、卵巣、膀胱、胃、肩、腰、その他たくさん。 “数打ちゃ当たる”じゃないか?って思った事が理由です。 今はもう、何度も何度も通っていて、足つぼマッサージの凄さを分かっているので、そんな風に思っていた自分が恥ずかしいです。 当時、足つぼは、「押されれば痛い。」だと思っていたのです。 「悪いところが痛い。」のだと、分かっていなかったのですね。 そして、流産後、姉に言われた、「あの先生、婦人科系にとっても強いよ。」 の一言で、やっぱり信じる事にして、もう一度通い始めました。 そして疑問をぶつけてみました。 私「ねぇ先生、わたし、子供産める?」 先「うん、産めるよ。産めない人に、嘘でもそんな事言えないもん。」 私「じゃぁ、なんで私より太ってる人は産めて、私はだめなの?」 先「そういう人は、腎が異様に強いのね。」 あとは、脂肪はホルモンを食べちゃうからね。 妊娠中は、休みなくホルモンが子宮に行ってないといけないから。」 東洋医学で言う『腎』とは、腎臓というのではなく、ちょっと違った意味で、生命力そのものだったりとか、色々あるので、調べてみると良いと思います。 私「じゃぁ、どうして冷え症だと子どもがもたないの?」 先「鳥が、どうして卵を24時間付きっきりで暖めるかっていうと、 暖めないと産まれてこないからよね? だから、1分たりとも冷やしたりしない。 人間だって暖めないとダメなのよ。 赤ちゃんは、冷たいお腹の中を嫌うの。 寒いところが嫌で、居たくなくて、出てきちゃうの。」 言われてみると当たり前の事なのに、私は全然分かってなかったんだ。 自分が赤ちゃんを殺したんだ、と思った。 平熱が35度の人、36度の人、様々ですが、私は低体温の35度付近でした。 36度5分を超えると熱っぽく、37度では話す事も辛いほど。 お風呂のお湯の一度の差って、かなり大きいですよね。 真冬なんて、ちょっとぬるくなっただけで、ブルブルしちゃう。 羊水の温度は39度前後だとして、やっぱり一度でも低ければ、赤ちゃんは寒いと感じるはず。 そんなお腹の中、居たいはずなんて無いんだ。 疑問は解決したので、あとは実戦するのみ。 それから、私の『冷え取り』と『ダイエット』と『自分で行う不妊治療』が始まりました。 これまた長くなるので、また今度。 JUGEMテーマ:妊娠ビフォーアフター
2008.04.07 Monday *00:06
1週間後に病院に行くと、間違いなく心臓は止まっていました。
健診に来た時は、5か月と2日目でしたが、大きさが4か月と5日目位なので、死亡届も出さなくて良いし、お墓にも入れなくて構わないと言われました。 そんな事、淡々と言われてもねぇ。 と思いましたが、重要な事ですよね。 そして、主人も一緒に来てたので、手術の同意書を書いてと言われた。 よく覚えてないけど、「堕胎」とか「中絶」とかっていう文字がチラッと見えて、 「先生、私、流産なんですけど、紙間違ってません?」 っと聞いてみたら、 「やる事は一緒だから。」 っと、サラッと言われ呆然とした。 この先生、こういう人なんです、性格が。 だから、憎いとか、全然微塵も思ってませんよ。 次の日に入院し、その次の日に手術。 夕方に入院し、診察室で子宮口を広げる為にラミナリアを子宮口に挿入。 痛くないと聞いていたのに、馬鹿みたいに痛く「イテー!」って叫んだのを覚えてる。 そして、夜、また最初より太いラミナリア挿入。今度は分別室でだったので、かなり虚しくなった。 また痛かったけど、叫ぶほどでは無かった。 その日の夜は最悪でした。 夜勤の看護師さんが、 「眠れないでしょうから、コレ、眠剤。先生が飲みなさいって。」 と持ってきた。 即飲んだけど、眠れませんでした。 だって、産婦人科だもの、赤ちゃんの泣き声が響き渡るでしょ、切なくて苦しくて眠れないよ。 “産んであげられなくてごめんね。光を見せてあげられなくてごめんね” そればかりで、泣いて一夜を明かしました。 いよいよ次の日の昼過ぎに手術。 付添い人は姉だった。 そして、姉の友達から姉にメールが来た、 「赤ちゃん、空から見守ってくれてるよ。ママ頑張れ!って」 と…。 泣けた。そして最後のママのお仕事、頑張るっよって誓った。 いよいよ手術開始。 「先生、私、麻酔の効きが悪いんだ。」 と告げていたので、注射の麻酔とガス麻酔の両方を用意してくれた。 テストで麻酔を少量打った時、 「あ、目が回ってきた。」 と告げると、 「寝ちゃって、今寝ちゃって。」 と、言われたけど、 「あ、覚めちゃった。」 って感じで…、でも注射での麻酔で続行。 途中、カチャカチャと言う金属音で、意識がハッキリしてきた。 そして、共に訪れた激痛。 「ちょっとちょっと、何やってんのさ!」 って位に痛かったので、横にいる助産婦さんの細い手を、折れる勢いで握りしめた。 「あとちょっと、あとちょっとで終わるからね。」 と、助産婦さん。 でも、先生は無言。 「本当は、まだまだなんじゃないのー!?」 と思いながら痛みとの闘い。 「おなか痛い、ウ○コしたい。」 と、何度も叫んでいた。 今思えば、笑いごとだし、病院でもきっと変人と思われたでしょうが、その時は必死でした。 手術後に鎮痛剤をくれた。何だろう?ロキソニンか何かだったのかな?半分に割って半分だけ飲ませてくれた。 そして、すぐ病室に戻らせてもらった。 「まだ歩けないよ。」と言われたけど、分娩室だし、隣には赤ちゃんがいっぱいいるから、泣き声で悲しくなるし、 「大丈夫です、歩けます。病室で少し寝させてください。」 と言い残し、病室に帰って寝ました。 約2時間、ゆっくり眠る事が出来ました。 流産を告げられて、初めてゆっくり眠れたと思う。 そして、目が覚めると、嘘のようにつわりは無くなっていて、空っぽになってしまったのだと、とうとう離れ離れになってしまったのだと、とてもとても悲しくなりました。 目が覚めるとすぐ先生が来ました。 「赤ちゃん、少し解け始めてきてたから、見せるのやめるね。」 と言われました。 どんな形でさえ、会って抱いてあげたかったけど、きっとあの子は、そんな姿を見られたくなかったのでしょう。 その後、姉と実家に帰りました。 手術代は、確か3万〜5万円だったと思う。 その後の事は、よく覚えていません。 ただ、「今までの当り前の生活」が出来なくなりました。 夜になったら寝て、朝になったら起きて、顔を洗ったり、歯を磨いたり、身支度を整えたり、ご飯を作ったり。 それ、全部が出来なくなりました。 やっていたとしても、記憶がないのです。 まるで死人のようでした。 JUGEMテーマ:妊娠ビフォーアフター |
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